HNチャンガーの
考えるパン屋
最終話 僕がパン屋になったわけ


 このコラムも今回で最終回になります。パン屋をしていると文章を考える機会なんてほとんどありません(当たり前ですが)。毎回四苦八苦しながら考えていました。一応自分の中では毎月、1回はと思っていましたが、ふたを開けてみれば9回しか書けませんでした。ホント申し訳なく思っとります・・・。

 最終回のコラムはなんにしようか考えていましたが、去年の秋にパン屋さんになりたいと高校生が来たのですが、あんまり気の利いた答えができなっかったコトが気になっていましたので、自分のことをお話して最終回にしたいと思います。

 さて、本題です。僕が大学を卒業するとき10年位前はバブルもはじけ飛んで、就職難でした。とは言うものの、選ばなければどっかに引っかかるかなくらいの状況で、周りはぼちぼち就職活動をはじめていましたが、僕はあんまりやりたいこともなく、どうしたものかと途方に暮れていました。ただ何となく「人と会わずに、自分のペースで何とかならないか」という方面の希望をもっていました。こういうのが希望というものなのかはさておき、なにかいいアイデアはないものか考える日々でした。ただそっちの方面は就職に関するノウハウなんてなく(当たり前です)さらに途方に暮れるという悪い循環でグルグルしていました。

 そうこうしているうちに、友達の就職もぼちぼち決まり始めるのが現れ、ますます焦りはつのります。ただその方面に行くには「手に職を持った方がいいのではないか」というふうに漠然と思っておりました。友達は「とにかくサラリーマンになって、お金をためてからにしたら」と、もっともなアドバイスももらいました。

 がしかし、僕はサラリーマンになったとしても3,4年でやめる自信があった(?)ので、そんなモンかなあと聞き流していました。そんな折、就職情報誌に目を通しているとパン屋さんで新卒者を募集していました。その広告を見たときハッとしてこれだと思いました。「これならうまく行けば田舎でパンを作りながらのんびりいけそうだ」。僕の頭にはアンパンマンのジャムおじさんがパンを作っている風景が浮かびました。

今、パン屋になってみると、ジャムおじさんはどうやって生計をたてているのでしょうか。

 あまり人に言えない理由でパン屋になってしまいましたが、パンの修行時代は案外楽しいものでした。意外と自分にパン作りが合っていたのでしょうか。朝は早く、夜も残業で遅い。肉体的にきつい仕事でいたが、やめようと思った事が一度もないのが不思議です。そのうちに結婚もして、その縁で八代でパン屋を独立開業できました。その八代市のホームページでコラムを書いているのですから世の中わかりません。

 ただ、八代で2年間開いたお店も1月で閉めました。それはなぜかと言うと、ついに夢だったホントに何もない田舎でパン屋をすることになったからです。「人と会わずに、自分のペースで何とかならないか」という「人と会わずに」の部分は商売をするとどうしても無理なので、もはやあきらめましたが、田舎で「自分のペースで何とか」という部分は叶えられそうです。

 なんとも消極的な理由でパン屋になったもんだなあと思います。でも今ではパン屋になってよかったなあと思うことが多いです。何でもどんなきっかけでもやってみることに意義があるように思います。

 去年の高校生。参考になったでしょうか。


 これでおしまいです。みなさんにお世話になりました。では、さようなら。

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