2月号 循 環 「森と海と川」を守る 
「ふるさとの若水深き井に沈めり」
佐納 冬芽
 地球上に占める水の割合は海水が全体の約97%を占めており、淡水は僅か3%弱ほどにすぎない。しかもこの淡水のうち約70%は南北両極地方の氷であり、人が生活に使う水は0.8%程度と言われている。皆さんは、その貴重な水のルーツは 勿論言わずともご存知だろうが、降水→土壌水→地表水(河川・湖沼)→海洋→蒸発→降水・・と私たちの生活排水として流した汚水もそのうちに雨が回り廻って私たちの飲み水として還ってくるのである。
 以前読んだ本に「だから私たちが今飲んでいる水は古代エジプトのクレオパトラ女王の排泄物を飲んでいる」と凄いジョークの言い回しで水の価値を考えさせるものもあった。

 宮城県仙台の牡蠣養殖業の畠山重篤氏の著書「森は海の恋人」という本を読まれたことがあるだろうか?
ここ数年前から小学校5年生の教科書にも採用されている名作だ。柞の森(ははそのもり)
「森は海を海は森を恋いながら悠久よりの愛紡ぎゆく」
熊谷 龍子
 「森は海の恋人」をかいつまんでお話しすると、河川の上流に森林地帯があると、地表層には落葉、その他動物の排泄物や死骸等が蓄積し、それらが土壌と混ざり、さらに微生物の働きで腐殖物を作り出す。これらにはチッ素やリン、鉄分を始め他の金属イオン等を豊富に含んでいる。本来鉄は土や岩石の中に含まれていて、雨によって運ばれる。水の中では、粒子鉄という状態で水中にあるが、そのままでは大きすぎて植物の細胞膜を通過できず吸収されないという事だ。しかし、この広葉樹林のふわふわの落葉の中で「フルボ酸」という物質ができ、これが鉄イオンと結びついた時、「フルボ酸鉄」というものになる。この形になると植物が直接吸収でき、沿岸の植物プランクトンや海草の成育に重要な働きをするという。

 この広葉樹林の落葉が作り出す「フルボ酸鉄」のお陰で、沿岸部の昆布や魚介類の生物の繁殖や成長に効果を出す。勿論、コンクリート三方張りの河川ではこの効果は期待できない。
畠山氏が山に木を植えて牡蠣の養殖に成功したことを反映し、日本国中で、海の漁師さん達が山に植樹活動をされる話題をよく耳にするようになった。
詳しくはhttp://www.echna.ne.jp/~yukkun/index.html

 熊本でもこの畠山氏のように、出前自然体験学習会を行い、熊本の海と川を愛するカッパがいる。通称、加勢貫太郎といい、川尻を愛し、「緑川の日」を作り、上流・下流の2万人を集め、川掃除を行う。自然を愛し、ここまで故郷を愛する人はいないだろう。こんな人が町に一人いると次世代は安泰するに違いない。私の目標とするカッパさんのユニークな活動は是非私のホームページでご覧いただきたい。

 森から川へ、そして海に繋ぐ自然の作用。自然の力は素晴らしい!そしてもう一つの自然の循環として「食物連鎖」、微生物→プランクトン→魚→人→生活排水→微生物 がある。
世界的に大きく循環している実話をご紹介しよう。皆さんは「エビ」はお好きだろうか?この日本人のエビ好きの為にインドネシアなどのマングローブの樹林が伐採、農地転用が行われ、エビ養殖場が作られ、東南アジアの人々の生活は森林減少、土壌流出、砂漠化、ひいては生物多様性の喪失など、重大問題を引き起こしている。日本人企業の大量生産の考えで原住民の暮らしは荒れ果て、物価は高騰し、環境破壊を引き起こし、まさに「日本人の豊かな暮らしの裏側」を表している。

 日本の企業は、あまりにも営利主義すぎる。それに消費者も「必要以上に食べない、買わない」という本来の食物連鎖(12月号でご紹介したアマゾン流域の原住民の生き方)を考えて購入すべきだ。
私が思うところ「自然」の反対語は「文明」だと思う。生活をしやすくするために私たち人間は、人間を生かしてくれているその他の生き物(動物・植物)の命を粗末にしながら「文明」を求めようとしているが、実は人間にとって大切な「自然」を壊し続けている。

 この東南アジアを始め全世界の環境破壊の水・大気の流れは遠く北極までにも影響を及ぼしている。地球の最北端の原住民、イヌイット族の体の中のダイオキシンの蓄積は人の許容量のなんと50倍だという。全世界の汚染環境の流れは空気や海の流れ着くところ、つまり北極に世界の汚染は集中してしまうらしい。海は世界に繋がり、地球上を常に循環している悲しい結果だろう。
「いっぽんの広葉樹に凭れつつ季の移ろいを
君が瞳に追う」
熊谷 龍子
 私が愛する熊本には日本一の富士山のみくりやの水に負けない湧き水がある。全国に誇れる阿蘇山や菊池渓谷や身近な五木。又その下流には立神峡があり、みな凍るほど冷たい湧き水だ。
それと忘れてはいけない私たちの故郷の宝。「球磨川」という素晴らしい川がある。水の循環を考えるに、一人一人が川を汚さない気持ちを持ち続けて、貴重な水を次の世代に繋いで行くことは、私達大人の大きな使命でもあり、重大な義務ではないだろうか?
故郷「球磨川」の水に感謝しつつ、いつまでも緑多き・水清い故郷である事を願っている。

さて、来月は
最終号「命」の重さは全ての生き物、皆同じ。でお会いしましょう。
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