3月号 「命」の重さは全ての生き物は同じである。(長編)

 宇宙の歴史は200億光年。地球の誕生は46億年前頃。生命の誕生は35億年前。
微生物は27億年前。では、人間の原点である原人の生誕は50万年前という。
 この遙か気の遠くなる世界の中で、頭に毛が生えたばかりの人類がこの緑・水の地球を破壊しだした年数はたったの100年。そのことすら知らない人もいる状況で、環境破壊のスピードは年々加速し、その為に、たくさんの希少動物・生物の「命」が亡くなり続けている。そして、一番大切な地球も「臍(ほぞ)を噛んでも、もう遅いよ」と悲鳴を上げている。
 神様に「命」を頂き、人としてこの世に生まれて来た大切な「命」。本当に人間で良かった。と感謝する。又人間として生まれ、言わずもがな、たくさんの「命」(いろいろな動植物)に生かされている事にも感謝している。光や土や水、雨や風や自然現象、草木や花々、大小の動物たち、人の温かい手や笑い声、そして千編万化のメッセージに触れられる喜びを素肌に感じ、「命」の価値をも感じる。

  しかし無常にも、私達人間が生き続けてゆくためには、これらの弱い生物達を殺し続けなければならない。どんなに肉を食べない菜食主義者でも、「命」のある野菜を食している。命の重さは、全ての生き物が同じであると理解しているはずだ。
だから、生かされていることを感謝の気持ちで食する時、精一杯生きてきた食材達と精一杯育てた農家の方の汗と、まな板の音を響かせて一生懸命作る人に感謝の気持ちをこめて「いただきます」「ごちそうさまでした」と手を合わせて言う。
「有難う。君たちのお陰で生かされているよ。」と心で思いながら・・・。

 江戸時代の儒学者・貝原益軒の「養生訓」に、飲食は体を養い、睡眠は気力を養うという言葉がある。その格言と相反する最近の若者達。夜中にコンビニやファミレスでたむろし、ジャンクフードを食べ、あまつさえ睡眠不足の生活で、メラトニンのホルモン作用は効かなくなり、将来の遺伝子が危惧される。
  現代の企業の20代の後半の人たちに一番高血圧が多く、又、新入社員の52パーセントが成人病だという。という事は、20年間の家庭での暮しが根本的に誤りと思えざるを得ない。又、悲しいかな、日本で小児がんで亡くなる子供が年間1500人、つまり、これからの人生を迎えられずに天に召される子供が1日4人もいる事は嘘であって欲しい事実である。「命」にとって一番大切な本当の食べ物・本当の暮らし方を知らない結果だろう。

 このような若い「命」が亡くなるのが多いご時世であろうか、テレビ番組で「僕の生きる道」という、若い高校教師が癌で亡くなるまで、余命を一生懸命に生きていくドラマが大きな反響を呼び、その番組に寄せられた主人公と似た境遇の視聴者が多数感想を寄せているらしい。

 1991年12月26日島根県の小学6年生「坪田愛華さん」という一人の少女も旅たって逝った。「生命は、海で生まれた」「でも、その海が今、ピンチなんだよ」「その海を、人間はどんどん汚しているんだ」という地球危機を訴える熱いメッセージ「地球の秘密」の本を2ヶ月がかりで書き終えた数時間後、脳内出血で倒れ、翌日その短い生涯を閉じている。
 詳しくは 
http://www.town.hikawa.shimane.jp/school/nishino/AIKA/gaiyou.html
http://lwac.jp/catv_0401_hataraku.htm  http://lwac.jp/event_ginza_aika.htm


 現実、教鞭をとる神聖な教育現場の先生方の「命」の価値を教える授業が実際にある。
神奈川県茅ヶ崎市の「大瀬 敏昭校長」、また、ここ熊本大学の万羽 晴夫助教授が企画され、万羽先生のサポートで、がん患者の非常勤講師だった「田中 裕一」さんとの「死を考える」生きている授業は若者達に反響を呼んだそうだ。

最後まで教鞭をとり、学生・生徒に子供の目線で「命・生と死」の授業をされたという。
http://www.myprofile.ne.jp/blog/archive/ak1h1ko/61 
 明日は逝く「我が命」を知る先生に、「命」の価値を学んだ子供達。
そして、その「命」の授業を始めてから、多数いた登校拒否の子供がまったくいなくなったと言う。

 もし、あなたが明日、目が覚めて、あなたの両足・両手、または両目や両耳が不自由な体になっていたとするとどうだろう。すべからく、健康であった昨日までの体に気づくことだろう。
 もし、あなたが明日、目が覚めて、今まであなたの横にいた、いえ、いるはずの愛するわが子や親がいなくなっていたらあなたはどうするだろうか?

 当たり前の存在がいなくなる事で、改めてその人の存在を知り、大切な「命」も知り、一抹の寂しさを感じるであろう。
 亡くしてしまった寂しさを、一生心の中にしまい、時にその引き出しを開けてみては涙する事もしばし。この辛さは経験したものにしか解らない心境かもしれない。

 戦争で亡くなる「命」。不治の病で亡くす「命」。事故で亡くす「命」。突然死で亡くす「命」。親の虐待で亡くすかわいそうな幼い「命」。殺人で心残りで逝く「命」。自殺という親にもらった大切な「命」を自ら絶つ「命」。そして一番わがままな人間である、私たちが生きるために身を投じて生かしてもらう動植物の「命」達。

 かく言う私もこの短い人生の中で、いくつかの肉親との別れをしている。
実父の死。祖母の死。義父の死。そして我子の死。
中でも毎晩添い寝をしていつも側にいるはずの三男が、ある日突然いなくなった時は、 この上も無い虚しさと脱落感で半狂乱状態だった。精神的心境を正常に取り戻すすべもなく、自分の存在をも抹殺しようとさえ考えた。突然やってきた無常の別れ。何を見ても感じない、なにをしても真っ白状態で、「あの子はどこにいるのか?どうしているのか?」それが知りたくて、むさぼりつくように佛の本を読んだ。そして心を許すお寺の友人を幾度か訪ね、仏様の教えを聴いた。
 現実を見る=あきらめ=明らかに見る。ということを知り、又、時間という薬を持ち、やっと、三男の「死」を見つめ直し、涙を流さずに語れるようになったのはつい最近である。今年は実父の33回忌と三男の13回忌を迎える。
 三男が身をもって教えてくれた「命」の価値を知り、今までの人生観が変わった。そしてその大切な「命」の礎が、今の私の考でもあり、行動でもある。
 山本有三「路傍の石」にあるように、「たった一人しかない自分を、たった一度しかない人生を、本当に生かさなかったら、人間、生まれてきた甲斐が無いじゃないか」とある。私も人生の折り返し地点を過ぎ、ここいらで人生の"手習い"をしようと思う。どんなに年を取ろうとも、創作の意欲、自己向上意欲を燃やし続け、いつかは「死ぬ」という事実から目をそらさずに過ごしていきたい。
 そして介護の必要な「長命」ではなく、最後まで自分の食事を自分でできる「長寿」であるようにがんばるつもりだ。出来ればあなたもそうして欲しい!

 さて、最終号のまとめとして、天国に召された「命」・その「命」を思う気持ちの文章を特別版として私の大好きな方にも筆を取っていただいた。是非最後までご覧頂きたい。そして何かを感じて欲しい。すべての「命」に感謝を込めて。


「蓮を供華 浄土に往きし 子を偲ぶ」  三重県Y君のお母さん

 この方の息子さまはお念佛を喜びつつ、自らお浄土へ旅立たれたのです。
 厭世でも逃避でもなく、西方浄土をめざして。
 Y君は私の息子の友人でしたが、「真剣に西方浄土に生まれたいと言っていたんだから」と、友人の死を悲しみ乍らも、正当に受け止めて見つめています。
 しかし、お母さんにしてみれば、お腹を痛め、慈しみ育ててこられた大切な子供さんとのあまりにも早い、突然の別れでありました。食も通らぬ辛い日々の明け暮れに、せめて蓮を供華し、み佛さまの前に座り、お浄土にゆかれた子供さんをご夫婦で静かに偲ぶしかなかったのです。
 裟姿に身を置き、日々暮しをしている私達にとって老病死を避けては生きて行けません。

  「人生は苦の海なり。涙の谷なり。」とも言われるように、苦悩多き人生だからこそ、如来さまは、私達を救おうと願い続けておられます。
 佛さまの願いに生きる事は、佛さまのお救いの中に生かされている事ですから、日々安心です。だからといって悲しみがなくなるのはなく、私が受けてゆかねばならない宿業として、受け止めてゆく智慧を頂くのです。
 煩悩の日暮しの中で、時には佛さまの教えにそむき、佛さまに背を向けがちな私ですが、佛さまは、私に「摂取不捨」(救い取って離さないよ!)の心で、私を願い続けて下さっています。
 私を間違いなく救って下さるのです。それも永遠の命に目覚めさせられて・・・・・。

法輪寺 坊守 藤法 信代

 

「春浅し 二十歳の君は 戦場へ」
「 陰膳を 供えし母や 梅の花」

[訳文]
 ただ一人の兄が戦争に駆り出され、満州の地で終戦前の8月9日ソ連の参戦により、終戦の8月15日、行方不明になりました。母はきっと息子は生きていると信じ、十数年毎日陰膳を供え続けました。十数年が経ち、終戦記念日に兄が母の夢枕に立ち、「お母さん、僕は8月15日未明、戦死したんだよ。」と告げたそうです。
 母は驚き、「戦死しているのなら供養しなければならない」と戦死をやむなく認めたのです。永い年月、行方不明の我子の無事を待った母の気持ち・・・。今、三人の子を持つ私は母が哀れでなりません。せめて兄の分も母に孝行したいと思いました。そのお陰で、三人の子供達も母を大切にしてくれました。

「夫逝きて 母子で守る 春待草」

[訳文]
 社交家の主人が急逝した時、三人の子は育ち盛りの時でした。
主人が生きていた時、思いもしなかった人々の裏切り、又、母子家庭に対し軽く扱われた時、"子供は今に大人になる。教育はしっかりしなければ!"と、今は亡き母と話し合い三人共、奨学金をもらい、大學で勉強できました。母子三代、苦労した甲斐があり、三人の子は世間から見ても親孝行者で、私は幸せです。これも皆、先祖のお陰と感謝しています。

田島 玉枝


「生きるということ」

 「光と影」や「明と闇」があるように、「生」の反対は「死」であると思う。
 武士社会や戦争時代は「死」と向き合った時代であり、必然的に自分の死と向かい合い合わなければなかった時代であったが、時代は幸せすぎ、「いかに生きるべきか。いかに自分の死を迎えるか」を考えるより、「自分がどれだけ楽しめるか」ばかりを追求し、自分自身をごまかしているような気がしてならない。
 しかし、「自分の死期」を突き付けられている若者もいる。それは、自分の意思に関係なく、生まれた時から、若い年代で死を迎えてしまう病気。
 小さい頃はゆっくりでも歩くことが出来ていた人も小学5年生の頃から、だんだん歩行が困難になり、だんだん筋力が衰え、寝たきりになり、死を迎えていく。しかし、自分の病気の事ははっきり知らされる事は少ない。

 親ははっきり子供に伝えることが出来にくいようだし、それをどう受け止めるかとても予測がつきにくい事であるからかもしれない。ある程度の年齢になってから自分でなんとなく分かって行くという事が多いようだし、それ以上に自分の体が教えてくれる事にもなるのであるが・・・。
 自分の「死」を受け入れる事はとても困難であり、不安だらけだが、それぞれに自分なりに精一杯答えを出して、毎日を過ごしている人も多い。
 素晴らしい短歌を作る人、動きにくくなった手で筆を握り、迫力のある絵を描く人、電動車椅子を動かし、サッカーを楽しんでいる人などなど。「死」を見据えながら「生」への執念を燃やしている。
 しかし、突然それはやって来ることが多く、両親も死期に間に合わないことも多い。
「ワールドカップサッカーが大分であるから、絶対見に行くんだ!」と言っていた彼も、いつもの笑顔を見せ、周りの人を幸せな気分にしていた詩人であった彼も、自分の意見を持ち、ぐいぐい皆を引っ張っていってくれてた彼も、いつも静かに人の話に耳を傾け、悩みを聞いていてくれた彼も、音楽好きな笑顔の可愛かった彼女も・・・・あっという間に10代や20代前半でこの世を去って逝った。つい何時間前までは冗談を言っていたのに、突然、私達の前からいなくなってしまう。勿論、私達の心から消え去る事はないが・・。
 私は彼らを知ってから、自分自身の事と比較することが多くなった。体の事、「命」のこと、心のことなど・・・。
 私はまだまだ彼らよりたくさんの生を与えてもらっている。まだまだ活発に動く体がある。彼らの出来なかった事を私は出来るような気がする。
彼らも自分の出来る事を、「命」のある限り挑戦したように、私達も私の限りある生を、一人一人がそれぞれで有効に使いながら、真剣に自分自身と向き合い、色々な誘惑や刺激にごまかされることなく、「私」という人間を作り上げなければならないと思う。

難病病棟で教鞭を執っていたゆかりんの姉


 「ごろっと環境」最終号までお付き合い下さり、心より感謝申し上げます。
 私の"思い"が届きましたら幸せです。
 結びとしまして、読者の方々にお願いがあります。この私の"思い"を是非、次の世代の子供たちに伝えて欲しいということです。自分だけが幸せで永生きするのではなく、全ての人が幸せで価値のある「命」を永らえる為にも・・・・。

ゆかりん 拝 
出来たらご感想をいただきとう存じます。

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