「沈黙の春」の著者レイチェル・カーソンとは・・・

 1962年、「沈黙の春」(Silent Spring)という本を著し、その中で化学物質による環境汚染の重大性について、最初に警告を発した女性です。
「沈黙の春」は1962年に出版されて以来、アメリカでの発行部数は150万部を超え、20数カ国に訳され、読者は世界中に渡っています。
 「沈黙の春」に取り上げられている農薬は主に、DDT、BHCをはじめとする有機塩素系殺虫剤と、パラチオンに始まる有機りん系殺虫剤です。当時、アメリカではこれらの農薬や化学物質は止めどなく生産され、使用されていました。

 1962年に「沈黙の春」が出版されるずっと以前から一部の学者や関係者の間では、これらの薬剤のマイナス面についての危惧の念を抱く人もありました。しかし、第二次世界大戦のイタリア戦線において、発疹チフスが流行して多くの兵士達が倒れた時、病菌の媒介昆虫であるシラミをDDTが徹底的に駆除し、この病気のドラマチックな終息をもたらしたこと、太平洋戦争でマラリア蚊の防除に効果を発揮したことなどのためにDDTは救世主のように思われていました。

 日本においても、終戦の混乱期、防疫の目的で、駅頭でだれかれとなくDDTの白い粉を頭から振り掛け、背中にまで吹きこむということがありました。このときは誰もいやだといえず、衛生の為には仕方のないことと思っていました。DDTやBHCは殺虫剤であって人間には無害であると信じられていたのです。そうした中で「沈黙の春」は出版されたのです。
 
 “アメリカの田舎のある町、そこは生命のあるものは自然と一つだった。豊かな田畑、果樹園が広がり、みどりの平野には春霞がたなびき、秋には燃えるような紅葉があやを成す。森から狐の声が聞こえ、鹿が野を音もなく駆けて行く。
 ところが、あるときどういう呪いを受けたのか暗い影が忍び寄った。若鶏も牛も羊も病気で死んだ。そのうち、突然死ぬ人も出てきた。原因はわからない。大人だけでなく、子供も元気よく遊んでいたのに急に気分が悪くなって2〜3時間後には冷たくなってしまった。春がきても自然は黙りこくっている。小鳥も歌わず、ミツバチの羽音も聞こえない。
 ひさしの樋の中や屋根板の隙間から、白い細かい粉が覗いていた。何週間前の事だったか、この白い粉が雪のように、屋根のや庭や野原や小川に降り注いだ。
 
 病める世界・・・新しい生命の誕生を告げる声ももはや聞かれない。魔法にかけられたのでも、敵に襲われたのでもない。全ては人間が自ら招いた禍いであったのだ。
現実にこのとおりの町があるわけではない。だが多かれ少なかれ似たような事はアメリカでも、他の国でも起こっている。恐ろしい妖怪が頭上を通り過ぎていったのに気づいた人はほとんど誰もいない。そんなのは、空想の物語さ、とみんな言うかもしれない。だが、これらの禍がいつ現実のものとなって、私達に襲いかかるか・・・思い知らされる日がくるだろう。”(レイチェル・カーソン「沈黙の春」より要約)

 このような「明日の為の寓話」で始まるこの本の中で、レイチェル・カーソンは鋭く化学物質による環境の汚染を警告したのです。


 カーソンが寓話として書いた状況とあまりにも似た現実の事件

1) 1976年イタリアのセベソにおいて
3.4.5.-Tと呼ばれる除草剤・枯葉剤の原料の化学薬品・トリクロロフェノール(TCP)、殺菌剤ヘキサクロロフェンを製造していたイクメサ工場が爆発、炎上。噴出した煙に含まれるダイオキシンが町全体に降り注いだ。

2) ベトナム戦争において
ジャングルにダイオキシンを含む枯葉剤が大量に散布された。

3) 1984年インドのボパールにおいて
アメリカのユオンカーバイドの工場の事故。イソシアン酸メチル(MIC)ガスが大量に流出した。

4) 1986年チェルノブイリにおいて
原発事故により、広範囲が放射能に汚染された。

以上の事件が起きた地域では、その後、奇形児の多発、ガンの発症率の増加、流産の多発がおき、チェルノブイリ地域はまさに沈黙の春。今でも白血病に苦しむ子供達がいる・・・


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